やっとこさGmail一本化

 Gmail Maniacsさんのところから…

ところでもっと重要な新機能についてですが、昨年12月の記事でお伝えしたGmail以外のPOPアカウントの利用がついに可能になりました。
まだ一部のユーザにしか実装されていないようですが、管理人はすでに使っています。無茶苦茶便利です。もともとBeckyで読んでいた仕事のメールをGmailでも取ってくるようにしましたが、やはり窓口が一本化できるというのは劇的に作業効率を向上させてくれますね…。
というわけで、Gmail TeamはあいかわらずGJです (σ´∀`)σ

 ついに来たよ〜!!やたー!
 ということでGmailで外部のPOP取得が可能になったとのこと。早速チャレンジ…


…ってあれ??全然それらしき項目がないんですけど……。やっぱりまだ一部のアカウントか、とガックリ。


 ところがあきらめきれず色々試していると、メニュー言語を「English」にすればアカウント追加項目が出てきた!!Yes!!
 ということで早速全てのメールアカウントをGmailに一本化してみた。いいね、やっぱり。この使い勝手で全部のアカウント管理できるんだもん…。もうOutlookイラネー

10倍売る人の文章術/シュガーマン

 色んなサイトの口コミやアマゾンのレビューで割と高評価なので買ってみた。訳書は本当に訳者によりけりだなぁ、と改めて痛感。いや、訳が悪いというわけじゃないんだけどね。
 まず感じたのがいかにもアメリカ的な言い回しが多くてウンザリ。著者の表現なんだろうけど、典型的なアメリカのホームショッピングを見ている気分になる。もちろん文例も然り。
 コピーを書く上で注意すべきポイントとか、テクニックは非常に有益だけに残念。たださすがはシュガーマンというか、広告だけでなく、魅せる文章というものを書く際のポイント、テクニックは非常に役に立つと思う。後半の心理的なテク部分は読んでて引き込まれる。
 個人的には長い短いに関わらず、編集(推敲)作業の重要性というのが教訓になったかな。自己満足に終わらない、人を惹き付ける文章を書きたいなぁ。

全米NO.1のセールス・ライターが教える 10倍売る人の文章術全米NO.1のセールス・ライターが教える 10倍売る人の文章術
ジョセフ・シュガーマン 金森 重樹

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 でも書いたとおり「欧米か!」の連続でウンザリ。読むのに時間かかったよ…。500円なら買いって感じでしょうかw

廃…

 性懲りもなく年末は郷愁往来シーズン。ちょっとビデオやら本やら見てみようと思ってもついつい北海道ロケだったり…を探してしまう。
 北海道におけるフジテレビ系の地方局であるUHB北海道文化放送)が、開局30周年記念に作成したドラマがあって、「ノースポイント」というシリーズものがあるんだけど、この中の「フレンズ」というドラマを思い出していた。小山田サユリ主演で、加瀬亮沢尻エリカなんかも出てる実は結構すごい。このシリーズ全編北海道ロケなんだけど、映画とかでちょっと出てきたりするのとは違って、まさに道産子にとっての北海道といった感じ。
 個人的には札幌とか函館とかの観光地はもう嫌ってくらい出てきている観光地よりも、かつて製造や炭坑で栄えた、今はちょっと翳っている感じの(自分の中ではほめ言葉で)室蘭や夕張周辺(歌志内、砂川、芦別あたり)とか、かつての交通の要衝(鉄道関係)であった町(滝川、音威子府、名寄なんか)なんかの歴史を背負ってきた感じがたまらない。このローカル感、地元感、北海道感…見てると心だけだけど、里帰りといった感じ。
 加瀬くんラブで衝動買いしたDVDは今は北海道コレクションに…。離れて初めてわかる良さかな。

ノースポイント フレンズノースポイント フレンズ
小山田さゆり 加瀬亮 水橋研二

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 そりゃそうと自分の地元がこれでもかって位出てくる「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」のなかで、メインの二人がスタジオとして使っていた廃校がどこなのかをずっと探していた。
 十勝管内から釧路管内まで。撮影協力にクレジットされていた町の小中学校、廃校を探していて、やっとあのかまぼこ形の校舎の学校を見つけた。厚岸町立末広小学校(あっけしちょうりつまびろしょうがっこう)!!

 校舎前の道道に立つ道路標識といいこれに違いない!!あースッキリ!!厚岸かぁ…。
 この映画も中身は無いが、地元ばっかり映してくれるばっかりについ見てしまうよ。でも疲れているときはノイズに耐えられないので、音量をミュートにしてしまって、映像だけ流してる。
 気付いたら眠れている。なんて最高のヒーリングムービーでわないか!!なんてね。

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 そりゃそうと北海道のアイヌ語地名は本当に美しいね。意味や由来を調べれば調べるほど奥深くて、時代と共に駅や地名が消えゆく今にあっても、なんとか守れないかと考えてしまう。今では留萌市周辺や、釧路管内釧路町周辺にすごい地名が沢山残ってる。難読なこともあって色んな所に載せられているけど、重蘭窮に入境学、分遺瀬に知方学…北海道人でもその集落に住んでない限り読めないよってな具合です(ちなみに答えは頭から…ちぷらんけうし、にこまない、わっちゃらせ、ちぽまない…w)。無理矢理感じに当てた先人もすごいけど、中には当て字具合がハイセンスなものもあって、アイヌの長い歴史に、和人の浅ーい文化が乗っかったという具合なのか…。

チャンス

 随分久々になってしまった更新…。仕事が忙しかったといえば忙しかったけど、正直ニュースやネットに繋ぐよりもやらなければいけないことが多すぎた、というところ。
 最近ニュースを見てもうれしくなるようなものがほとんど無く、暗くなるばかり。いつからこんなになったんだろうなぁ…って考えるけど、結局暗に他人の不幸を希求する卑しい人間の性か、なんて。
 地元を離れてなお地元を愛して止まない訳だけど、先日のばんえい競馬の今期限りでの廃止の知らせは辛かった。廃止の話は出ていたものの、映画「雪に願うこと」の東京国際映画祭でのグランプリ受賞をはじめ、ばんえい競馬が世に知られる切っ掛けが増え、注目され始めていただけに、あまりにも衝撃は大きかった。

 来年度以降のばんえい競馬の存廃問題で、帯広市の砂川敏文市長は27日午後3時半から、市役所で記者会見を開き、帯広市として競馬存続は困難という考えを明らかにした。

 その上で「存続という道を見いだすことができずに残念。債務清算、関係者への補償について、組合、4市で速やかに協議したい」と述べ、帯広市として競馬から撤退する意向を示した。

 何というか過疎化の続く地方の、今なお冷え切った経済状況やらなんやら、時代の流れなのか、なにも出来ない自分に歯がゆさを感じ、気を落としていたのは自分だけではないだろう。
 北海道の開拓、拓殖は歴史こそ浅いが、自分たちの「血」の歴史だ。それこそ先住民である北海道アイヌと、開拓史の軍団として入植した和人が、それこそ一言では語れない辛い歴史の中で、ある時は支配や搾取を繰り返し、またある時は交わってきた歴史の証だ。そういった血の延長線上に自分が居ることを考えたとき、北海道の若いながらも深い歴史を象徴するようなものに、親しいものを感じずには居られなかった。
 世界でも唯一の「輓(ソリを)曳(ひく)・ばんえい競馬」北海道では旭川市岩見沢市、北見市帯広市が共同で運営を行ってきたが、経営不振から廃止がささやかれ始めたのは最近のことではない。他の公営や第三セクターと同じく、経営が危ぶまれてもよっぽどのことがない限り潰れない。そんな甘えが消費者側にも、経営者側にもあったんだろうと思う。しかし北海道の三セク、公営事業は他に同じで殆どが失敗してきた。苫東工業団地、釧路フィッシャーマンズワーフ、帯広ステーションデパート(エスタ)、そして記憶にも新しい、旧池北線ー北海道ちほく高原鉄道…。
 来るべくして来た今回のばんえい廃止に、結局は馬券も買えずに支援することもしなかった自分が言うのもなんだけど、何とかならないものかと思っていた。
 そこに昨日ぼんやりとニュースを見ていると、例のソフトバンクの支援のニュースが飛び込んできた。

ソフトバンクが、ばんえい競馬の支援に乗り出したのは、道内を中心とした熱心な存続運動を受け、てこ入れ次第で収支改善が見込めると判断したためとみられる。ただ、四市共催から一市開催になることで馬券売り上げの減少は不可避。赤字が長期化すれば同社が支援を中止する可能性は高く、存続運動の熱気をいかに馬券売り上げ増につなげるかが今後の課題となる。

 一瞬ソフトバンクばんえい競馬の接点があまりにもなく、どういうことだ?と思ったけど、記事を見て納得した。なるほど、馬券のネット購入か、と。
 見ればJRAのレースでは、ネットでの馬券購入率が4割を超えるのに対して、ばんえいは1割程度。このネット購入層を広げられれば、帯広市の若干甘い試算以上の売上どころか、今後の経営に明るい兆しが見えてくる。
 記事にも書いてあるが、今回支援が決まったものの、帯広市の努力が足りなかったり、結局認知が広がらず、購入率が改善しなければ手を引かれる、ということ。当たり前だがソフトバンクはそこに儲ける見込みがあるから支援するわけで、慈善事業や公共性なんかは求められないということだ。
 とはいえ、北海道遺産。道産子の大きな財産であるばんえい競馬が命を取り留めたこと、それに支援するというチャンスを与えてくれたソフトバンクには感謝しても仕切れない。これを機にネット投票をやってみようかと思っている。

ばんえい競馬公式サイト


追記:
 上の公式サイトを見てもらうと分かるけど、どこにネット購入があるのが全く分からない!!よく見ると「地方競馬共同在宅投票」とある!!!
 わかりずらすぎ!…在宅投票って…。この表現を改めるだけで違うだろうに…。
 今後ソフトバンクの介入によってどう変わっていくのか、これを見るだけでやりがいがあるというか、まだまだやることは一杯ありそうだなと思ったよ…。

寒い、眠い。

 昨日は雨の中濡れながら帰ってきた。疲れて荷物下ろしてそのまま寝てしまった。
 気付いたら祖母の夢を見ていて、目が覚めてもしばらく家族のこととか考えていると泣けてくる。やっぱり最後には喪失とか死が待っていて、それを想像する度に今現在生きていることの意味が薄れてしまう。もはやこれは抗えないもの。いつもごまかし続けている何かが遂に耐えられなくなって、堰を切ったようにこぼれ出す。生と死のどちらにも、例えようのない幸福と絶望が横たわっている。笑顔、前向き、元気…働くってのは生きるために無理にでもそうやって心身を動かすことだ。そのうち揺り戻しは絶対に来る。
 泣き疲れてまた眠った。起きたら日付も変わってるし…。ま、いいか。
 テレビを付けたらヴィンセント・ギャロの「ブラウン・バニー」が始まる所だった。少し見て、強烈な眠気に襲われる。やっぱりこの人は相性が良いのか悪いのか絶対に見ると寝てしまう。*1眠れないときにはいいけどさ…。映画には色んな表現があってもちろん良いと思うけど、ドラマの匂いが感じられない作品は苦手だ。そのうちわかるのかしら。だからこそ自分はラッセ・ハルストレムが大好きなんだと思う。ラッセ映画は全部好きだけど、「シッピング・ニュース」が一番好きかなぁ…。いや、やっぱり選べないかも。

シッピング・ニュース 特別版シッピング・ニュース 特別版
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*1:ゴダールの「アワーミュージック」もこの前見たけどすぐに寝たw。

つめたい雨。待ち人来ないテレビ塔

 目が覚めると冷え切った部屋の空気が布団から出るのを躊躇わせる。かすかに聞こえる雨音…寝起きからテンションが下がる。何とか布団からはい出してすぐにシャワーへ。軽く浴びた程度では部屋との温度差に耐えられないので、暖まるまでしばらく浴びていた。
 外に出ると雨は思ったより強くなかったけど、驚くほど冷たい。雪にはなっていないけれど、雪になる少し前くらいの本当に冷たい冷たい雨。真っ暗なアスファルトの上の水たまりを目をこらしながら避ける。
 北海道の今時期も、丁度雨から雪に変わる前のギリギリの時期で、初雪は過ぎても雪が積もっては居ないというグレーな季節。真冬でもなく、かといって秋でもないので上着が中途半端で、そのせいで余計に寒かったような気がする。
 歩きながら高校時代のことを思い出していた。ちょっとした恋の思い出?なんだろうか。街中は冬のイルミネーションでまぶしく、幸せそうな顔で通り過ぎる通行人を恨めしげに見ていた。
 来るはずもない待ち人を、あの日のように待っている。あの頃も今も、変わっちゃいないなぁ。

せんせい、あのね。〜学校、学童、物置の鍵

 教育ってなんだろう。このところ意識させるようなニュースも多くて、色々考えていたんだけど、いまいちピンと来ない。教育基本法改正に反対(もしくは賛成)してる人たちは一体何に反対(賛成)して居るんだろう。色んな人たちのblogやら記事を読んでみたけど、正直納得できるものがなくて、この盛り上がりに反して冷めている自分はどうなんだろう、と思ってしまった。自分が何を考え、何を言ったところで他に対する影響力なんて無いに等しい。誰かに何かを思われているなんざ思い上がりの自意識過剰に過ぎない。だとしても、人間が人間らしく生きていくための要素として、文明社会では教育というものがもの凄く重要なファクターであることは確かだし、自分自身にとっての教育がどういうものだったかを考えてみれば、これからどうしたいか、どうすべきなのか、少しは思いつくかなと思った。
 自分の中で最も古い記憶として残っている教育の場は、保育園だった。自分の中で一番印象に残っているのはK先生。若くて明るくて太陽みたいな人だった。だけど記憶が曖昧でそれ以上思い出せない。逆に年長の時に叱られて事務室に閉じこめられたことがあったんだけど、その時の担任のO先生のことは今でも思い出すと「怖い」というイメージが残っている。ただ、お絵かきの時間で、他の子の絵に落書きをして泣かせた。それでゲンコツされて閉じこめられた、っていうことはハッキリと覚えている。親以外に叱られる、初めての機会で場所が保育園だったんだな。悪いことをしたら痛い目に遭う、怖い。そういうことだ。
 小学校で最初の記憶は、2年生の時。所謂問題教師だったんだろうY先生。クラスが騒ぐとすぐにキレて黒板を叩き、ヒステリックに大声を上げ続けていた。そんな先生を尊敬する児童も少なく、陰でバカにしていた。キレているのを見ても、とくに怖かったとか悪いことをしたという感覚は全くなかった。
 だけど3・4年生の時の担任のF先生は色んな意味で影響が大きかった。自分は昔から問題児で、5、6人くらいの影響力のあった女子集団の中で、同じ学年の大人しくて目立たない子をいじめていた。陰口がエスカレートし、体育倉庫に閉じこめたり、イスに画鋲をおいたり、今思い起こすだけでも本当に最低の過去。無抵抗にされるがままな彼女の何とも言えない悲しい目を思い出す。卑劣で同情の余地がない。本当に自分は最低の人間だ。
 ある日職員会議でそのいじめが問題になり、クラス全員が1時間机の上に正座。いじめた彼女にも、関係ない児童に対しても合わせる顔があるはずもなく、正座の苦痛に何も考えられなかった。その後個別に呼び出され、しばらく耳が遠くなるほどの強烈なビンタをもらった。情けなくて、痛くて悔しくて、どうすればいいか分からずに泣いた。
 彼女に対するいじめはその後無くなり、同じ集団で絡むことはなくても、干渉することもなかった。彼女は彼女で、別の仲間を見つけた。その後、遂に面と向かって本心から謝ることが出来ないまま、彼女は遠いK市に転校してしまった。今でもたまに彼女の夢を見る。一生見続ける、思い出して考え続けることが自分に出来る総括なんだと思いこんで…。いつか会えたらと思う。謝って解放されたいだけなんだろうけど、それでも謝りたい。
 因果応報という言葉が相応しいのかわからないが、その後自分は同じように集団の中でのいじめのターゲットとなった。自分の周りを囲まれて蹴られたり、リンチっぽいことがあったり、あとは靴に画鋲やら色々あった気がするけど、自分がされたことは「いじめた」記憶ほど明瞭ではなかったりする。
 F先生とはその後も、小学校を卒業してからも年賀状のやり取りがあった。人間としての生き方、あり方の部分で今でも影響を感じる。今だったらバカな親が暴力だ虐待だと言いそうだけど、そうじゃないんだ。ガキってのは痛い目みないと分からないことが絶対ある。痛くて悔しくて情けなくて、そして自分も同じ目に遭って初めて自分が何やったか思い知るんだ。
 F先生とは違う意味で、自分に可能性を信じさせてくれた先生が、小学校5・6年の担任のS先生だった。教育大を出てきたばかりの若い先生で、「熱血!」と言うわけでは無いけど、兄貴的な立ち位置で、先入観や古い凝り固まった価値観を持たない人だった。だからこそ、問題ばかり起こして勉強も出来ず(かけ算も5年生になっても7の段が言えなかった!!)、将来は何とか地元の高校に入ってくれれば良い…と両親から本気で思われていた自分が、自ら地元のスパルタで有名な個人塾に行く!とか言い出すまでに変化したんだと思う。S先生は授業以外の英語だったり、地理のちょっとしたネタ話を良くしてくれた。勉強、授業とちがって楽しかったし、自分の知らない大人の(ちょっとエッチな)話も教えてくれた。今で言うと友達先生の走りみたいな人だったのかも…?でも叱るときは滅茶苦茶厳しかったけど。そんなこんなで、偏差値が上がったのは良い悪いは別にしても、色んな可能性が広がったという意味では自分の中でも大きな変化だった。選択肢、機会を与えてくれて、本当に感謝している。
 中学以降は正直そこまで記憶にない。個性的な先生は居たけど、人生に影響…とか考えるとそこまでは居ないな。
 教育、特に義務教育の期間は、学校が子どもにとっての社会のようなもの。教師の影響はやっぱり大きい。自分の場合は小学校時代は、学校、学童保育、塾、家庭とそれぞれの場所があったけど、一番大きな場所は学校だった。家は共働きだったこともあって、学童保育ではまだ周りに人が居るからましだったけれど、家に帰ってから、親が帰ってくるまでの時間、夕方の再放送のアニメやドラマを見ながら、暗くなっていく時間は孤独だった。塾は知的好奇心は満たしてくれても、所属欲求みたいなものは満たしてくれなかったし…やっぱりいくら形骸化していたとしても、学校は大きいと思う。
 家族の形やコミュニティのあり方が完全に変わってしまった今、教育の重要な現場や仕組みも点在している。家庭、学校、その他。それらは繋がりを持たないし、何かあれば他の責任にしてばかり居るような気がする。それぞれにとって、重要な場所は違うと思う。教育の場や仕組みの多様化は大いに結構だと思う。家庭も学校も試行錯誤してると思う。どこも手抜いてるとか、いい加減だとも思わない。だけど、子どもだけじゃなく、今は大人も孤立してしまっている気がする。
 一人一人の個はとても大切だけど、それも全あってのもの。みんな気付いてるけど手を伸ばすことが出来るに苦しんでいる。もう、苦しまなくて良いと思うよ。