せんせい、あのね。〜学校、学童、物置の鍵

 教育ってなんだろう。このところ意識させるようなニュースも多くて、色々考えていたんだけど、いまいちピンと来ない。教育基本法改正に反対(もしくは賛成)してる人たちは一体何に反対(賛成)して居るんだろう。色んな人たちのblogやら記事を読んでみたけど、正直納得できるものがなくて、この盛り上がりに反して冷めている自分はどうなんだろう、と思ってしまった。自分が何を考え、何を言ったところで他に対する影響力なんて無いに等しい。誰かに何かを思われているなんざ思い上がりの自意識過剰に過ぎない。だとしても、人間が人間らしく生きていくための要素として、文明社会では教育というものがもの凄く重要なファクターであることは確かだし、自分自身にとっての教育がどういうものだったかを考えてみれば、これからどうしたいか、どうすべきなのか、少しは思いつくかなと思った。
 自分の中で最も古い記憶として残っている教育の場は、保育園だった。自分の中で一番印象に残っているのはK先生。若くて明るくて太陽みたいな人だった。だけど記憶が曖昧でそれ以上思い出せない。逆に年長の時に叱られて事務室に閉じこめられたことがあったんだけど、その時の担任のO先生のことは今でも思い出すと「怖い」というイメージが残っている。ただ、お絵かきの時間で、他の子の絵に落書きをして泣かせた。それでゲンコツされて閉じこめられた、っていうことはハッキリと覚えている。親以外に叱られる、初めての機会で場所が保育園だったんだな。悪いことをしたら痛い目に遭う、怖い。そういうことだ。
 小学校で最初の記憶は、2年生の時。所謂問題教師だったんだろうY先生。クラスが騒ぐとすぐにキレて黒板を叩き、ヒステリックに大声を上げ続けていた。そんな先生を尊敬する児童も少なく、陰でバカにしていた。キレているのを見ても、とくに怖かったとか悪いことをしたという感覚は全くなかった。
 だけど3・4年生の時の担任のF先生は色んな意味で影響が大きかった。自分は昔から問題児で、5、6人くらいの影響力のあった女子集団の中で、同じ学年の大人しくて目立たない子をいじめていた。陰口がエスカレートし、体育倉庫に閉じこめたり、イスに画鋲をおいたり、今思い起こすだけでも本当に最低の過去。無抵抗にされるがままな彼女の何とも言えない悲しい目を思い出す。卑劣で同情の余地がない。本当に自分は最低の人間だ。
 ある日職員会議でそのいじめが問題になり、クラス全員が1時間机の上に正座。いじめた彼女にも、関係ない児童に対しても合わせる顔があるはずもなく、正座の苦痛に何も考えられなかった。その後個別に呼び出され、しばらく耳が遠くなるほどの強烈なビンタをもらった。情けなくて、痛くて悔しくて、どうすればいいか分からずに泣いた。
 彼女に対するいじめはその後無くなり、同じ集団で絡むことはなくても、干渉することもなかった。彼女は彼女で、別の仲間を見つけた。その後、遂に面と向かって本心から謝ることが出来ないまま、彼女は遠いK市に転校してしまった。今でもたまに彼女の夢を見る。一生見続ける、思い出して考え続けることが自分に出来る総括なんだと思いこんで…。いつか会えたらと思う。謝って解放されたいだけなんだろうけど、それでも謝りたい。
 因果応報という言葉が相応しいのかわからないが、その後自分は同じように集団の中でのいじめのターゲットとなった。自分の周りを囲まれて蹴られたり、リンチっぽいことがあったり、あとは靴に画鋲やら色々あった気がするけど、自分がされたことは「いじめた」記憶ほど明瞭ではなかったりする。
 F先生とはその後も、小学校を卒業してからも年賀状のやり取りがあった。人間としての生き方、あり方の部分で今でも影響を感じる。今だったらバカな親が暴力だ虐待だと言いそうだけど、そうじゃないんだ。ガキってのは痛い目みないと分からないことが絶対ある。痛くて悔しくて情けなくて、そして自分も同じ目に遭って初めて自分が何やったか思い知るんだ。
 F先生とは違う意味で、自分に可能性を信じさせてくれた先生が、小学校5・6年の担任のS先生だった。教育大を出てきたばかりの若い先生で、「熱血!」と言うわけでは無いけど、兄貴的な立ち位置で、先入観や古い凝り固まった価値観を持たない人だった。だからこそ、問題ばかり起こして勉強も出来ず(かけ算も5年生になっても7の段が言えなかった!!)、将来は何とか地元の高校に入ってくれれば良い…と両親から本気で思われていた自分が、自ら地元のスパルタで有名な個人塾に行く!とか言い出すまでに変化したんだと思う。S先生は授業以外の英語だったり、地理のちょっとしたネタ話を良くしてくれた。勉強、授業とちがって楽しかったし、自分の知らない大人の(ちょっとエッチな)話も教えてくれた。今で言うと友達先生の走りみたいな人だったのかも…?でも叱るときは滅茶苦茶厳しかったけど。そんなこんなで、偏差値が上がったのは良い悪いは別にしても、色んな可能性が広がったという意味では自分の中でも大きな変化だった。選択肢、機会を与えてくれて、本当に感謝している。
 中学以降は正直そこまで記憶にない。個性的な先生は居たけど、人生に影響…とか考えるとそこまでは居ないな。
 教育、特に義務教育の期間は、学校が子どもにとっての社会のようなもの。教師の影響はやっぱり大きい。自分の場合は小学校時代は、学校、学童保育、塾、家庭とそれぞれの場所があったけど、一番大きな場所は学校だった。家は共働きだったこともあって、学童保育ではまだ周りに人が居るからましだったけれど、家に帰ってから、親が帰ってくるまでの時間、夕方の再放送のアニメやドラマを見ながら、暗くなっていく時間は孤独だった。塾は知的好奇心は満たしてくれても、所属欲求みたいなものは満たしてくれなかったし…やっぱりいくら形骸化していたとしても、学校は大きいと思う。
 家族の形やコミュニティのあり方が完全に変わってしまった今、教育の重要な現場や仕組みも点在している。家庭、学校、その他。それらは繋がりを持たないし、何かあれば他の責任にしてばかり居るような気がする。それぞれにとって、重要な場所は違うと思う。教育の場や仕組みの多様化は大いに結構だと思う。家庭も学校も試行錯誤してると思う。どこも手抜いてるとか、いい加減だとも思わない。だけど、子どもだけじゃなく、今は大人も孤立してしまっている気がする。
 一人一人の個はとても大切だけど、それも全あってのもの。みんな気付いてるけど手を伸ばすことが出来るに苦しんでいる。もう、苦しまなくて良いと思うよ。