厭になるのは

 いつも通りRSSリーダーでざっとニュースなんかを読んでいて、マスコミの異様なまでの医師叩きとか、「核」っつー単語アレルギーとか、いじめカッコワルイとか、単位不足で校長先生自殺とか……もうなんでこんな!!!と思考停止したくなった。というか停止したよ。


 正しいことを知りたければ、自分の足でつかめばいい。ただその正しいことを、他の人に伝えることは無理なのかも知れない。


 マスコミなんてものはハナから信用してませんが、人間常に全てを疑ってかかるなんてことは非常に疲れます。性善説ではないけど、信じたり依拠したりすることができないと、同時に何か例えようの無い膿のようなものが少しずつ堆積していって、気付いたら……なんてことにもなりうると思う。
 正直少し前の自分はそういう状態であったと思うし、風邪や怪我のように見えない・わからない精神の変調というものは患っている自分ですら、その変調に気付けないことが多い。
 世にあふれる情報と、それに踊らされ、思考や行動までも操作されている人間(もちろん自分も含めて、です)を見るに付け、世の中正しいことを知ろうと、伝えようとすることはそのくらいの困難があり、継続しがたいものなんだな、とつくづく感じる。安易にある一つの局面、価値観に偏重すまいと思っていても、右も左もどちらに寄ろうが日本のこと。日本も韓国もどちらも所詮は、どこぞの国のグローバリズムの中では仲良く同じちきゅうしみん。…時間(歴史)の流れと、自分の周囲(社会、人)との交差する自分の立ち位置みたいものを、把握すること。主観と客観…。
 あーもう、ここで自分の場合はキャパシティオーバー。情報を天秤にかける以前に、あらゆる局面の情報自体が不足している。情けない…。今だって、ネットのお陰で多少は改善されたものの、流される情報は黒か白か、右か左かの極端なものばかり…。
 それでも人生は短い。知らぬが仏と自嘲することなく、何でもまずは取り入れて消化しなくちゃね。